とにかく忘れたくない2
前回の続きです。
僕は家族がいます。妻と子供と妻の母と4人で暮らしています。
なので家に帰ると悲しんでいる暇もない。
子供と遊んでご飯食べてお風呂に入れて、明日の仕事の準備をして23時前には布団に入って寝てる。
それとは真逆の生活をしているのは弟。
2dkの戸建ての賃貸で母と暮らしていた。
ただこの1年くらいは仕事で出世して責任のある立場になり母と自宅で毎日過ごすのは厳しくなり、やむを得ず隔週でショートステイに預けたりしていた。
この辺りの話は弟の仕事にも影響しそうなのでおいおい話していきたいと思うが、お母さんとの思い出が詰まった部屋で遺骨とお花がある部屋で生活している。やはりたまに会うと弟の方が母の死を乗り越え、前を向いて歩き始めている感じがある。
家で母の遺骨と遺影と向き合い内省を深め気持ちを整理できているんだなと。
僕はブログに残すことで整理しようと思う。
あの日の続き
施設に着いて母と対面し、いくらもしないうちに警察が来て、別室で話が聞きたいと言われ、相談室みたいな所で制服を着た若い警察官と話をした。
なんてことない住所や名前仕事等を話し、最後に「すみません、お母さんのご遺体を調べさせてください」と言われ、まだ何も気持ちも整理できてなく動揺しているままああ、はい、みたいな言われるまま承諾した。
この時僕はてっきり司法解剖するのかと思った。
しかし警察官が何度か出て行った時に弟が「仕方がないんだよね、亡くなったのが施設だと検死はしなくてはいけないんだ」と言われ僕もそうだよな、施設側に落ち度がないとは言い切れないし、つい数分前に人生のどん底を味わったばっかで、何を聞いても言われるままにするしかなかった。
結果を話すと司法解剖はされなかった。
いつもそうなんだけど、僕はなにか想定外なことが起こると咄嗟にとんでもないことを口にしたり行動したりする。よく考えることをやめてしまう。
本当に司法解剖なんかされなくてよかった。
亡くなって間も無く身体に刃物を入れられるかもしれないことをよく考えずに流されるまま承諾したんだと今から思うと怖く思う。
なんか、僕に電話をかけてきた時から弟が僕より平静を保ってたのがすごく感心したのを覚えてる。
弟は介護職で、こういう瞬間を少なからず経験しているのからなのかなとか。
この時に僕たちに訪れた体の変化が凄かった。
まず、とても、とっても喉が乾いた。喉が乾くくせに小便が止まらなかった。多分1時間のうちに500のペットボトル2本は飲んだと思う。多分それ以上。
トイレも20分に一度は行った。ここが施設じゃなければもっともっと行ってたと思う。
それにタバコ…
止まらなかった。一本吸ってもすぐに吸いたくなり、iQOSマルチを持ってきて本当に良かったと思った。
施設にいた警察官は一通り話を聞いたら後は検死が終わるまでお待ち下さいということだった。
何度か施設の相談室と外の駐車場でタバコを吸って戻るというのを繰り返した。
この時僕は何故か無性に無性に線香の匂いが嗅ぎたくなった。煙いくらいに線香を焚いてお母さんに届けたかった。1分でも早く線香に火をつけたかった。
人間の本能で心が落ち着く香りなのか、とても不思議だった。
辛かったなぁ、、本当に。これまで何度か絶望した瞬間ってあったけど、後にも先にもこれほどの絶望なんてないと思う。
酷だよね、こんなに辛い瞬間をほとんどの人間は一度は味わうなんて。みんな頭では分かっているんだ。何年も何百年も前から人はこれを繰り返してきてるんだ。って。今まで僕は深く考えないようにしてきた。辛いから。この時はお母さんの死を乗り越えて前に進むことなんて1ミリも考えられなかった。
今でも少しこれから僕がどんな働きをしても、世の中のお役に立つ事をしてもお母さんに報告できないなんて虚しいじゃないかって考えてるよ。
こんな辛い瞬間をみんな迎えるんだ、経験してる人もいるんだってすごいことだよね。
それに、僕には特別な事情がありお母さんに会えない時間があった。それなのに37年しか一緒にいられないって短すぎないか。これからこの倍くらいの年月をお母さんがいない世界で生きていかなきゃいけないって辛すぎねえか。
お母さんには沢山迷惑をかけて悲しませてきたのに。誰よりも真っ直ぐ真面目に生きてきたお母さんが1人で寂しく旅立っていって。本当に自責しかない。
僕は長男。この後の事は僕がしっかりしなきゃと最後の責任感を振り絞り、仕事場に連絡を入れ僕が家を飛び出す時に起こしてしまった妻に連絡を入れた。
お母さんが亡くなった事実を文字や言葉にすると追い討ちをかけて辛くなった。もう知っていることだったけど視覚聴覚で再確認すると心がズキンズキンと痛かった。
僕が家を出る時妻は何時になってもいいからどうなったか連絡ちょうだいって言っていた。
お母さんが亡くなった事実だけを泣きながら伝えると妻から私も明日から仕事お休みとるからと言われ心底心強かった。
こういう時にその人間の心意が分かるというか。すごく嬉しかった
弟は詳しくは書いて良いのかわからないのでぼやかしますが、どうしても仕事を休めなかったのだ。それもあろうことかこの絶望と正反対の不幸とは真逆の事をテンションMAXで盛り上げないといけないという仕事だったのだ。
僕は驚いた。まず僕だったら行けないだろう。本当に尊敬する。
弟の数時間後に控えてる大仕事を想像すると本当は今だけは絶対に片時も1人になりたくなかったのだが、女々しく1人にしないでと言いたい気持ちを兄のプライドとわずかな責任感で精一杯カッコつけて「後の事は大丈夫、任して」と言っておいた。
しばらくするとさっきの警察官がきて、終わりましたと。部屋に通され再びお母さんと対面して、後はかかりつけの医師の検死が終わればお母さんはお家に帰れますと言われ、警察官にお礼を言って、弟は数時間後の仕事に備え一度自宅に戻ることにし、僕は妻を家に迎えに行くことにした。
この時施設の職員さんから、先生は4時30分頃になるそうなのでそのくらいには来てくださいと言われた。
まだ暗い道を情けなく車で自宅に向かい、家に入ると妻は支度が終わってて僕もハーフパンツにサンダル履きだったのでなんとか少しは見れる格好に着替えて妻と2人で車に乗り再び施設に向かった。
妻は口数も少なかった。それが今は良かった。
コンビニにより、これからの仕事に備えてモンスターのピンクを一気に飲み、少し早いけど施設に向かったら、もうすでにタクシーが到着していて焦った。
慌てて車を停めてロビーに向かい、ロビーのすぐ横のホールで医師の検視の結果を聞くことになった。
僕も前から知っている先生で、厳しいところもある先生だったので、待たせたことに立腹されてるのではないかと心配しながら話を聞いていた。
先生の話によると、死因は心不全ということだった。とても救いになった言葉が、苦しむ時間も少なかったと思うよ。って
たとえ嘘でも良かった。素直に信じることにした。
先生は弟が熱心に母の介護をしているのを知っていたので、とても悲しんでくれていた。「介護を頑張ってるの知っていたからね、本当に残念だよ」と言い手を握ってくれた。
さっき弟と別れてからこれからはもうしっかりとしなきゃいけない、喪主は人前で泣いてはいけないと聞いていたのだが、やはり涙が溢れてきて我慢できなかった。妻を見たら妻も泣いていた。
先生にお礼を言い見送ってやっとお母さんのところへ行けた。
妻も母と対面して言葉をかけてくれた。お母さん、お母さんって。
それを横で見てて、あぁ、本当にお母さん死んじゃったんだなって。
ここで重要なことを言うけど、この時僕はいけないこと、不謹慎なことだとは思うけどお母さんの遺体の写真を撮った。多分僕がこのブログを読んでいる他人だったらありえないだろ、なに考えてるんだと思うと思う。
僕も罰当たりだと思ったけど、撮った。
これが結果的に良かったと思う。なんでいけないのか、お母さんの最後の顔を目蓋の裏だけで保存できるか、最後の顔は目蓋だけに焼きつけないといけないのかな
俺変なのかな。だけど今も撮って良かったと思う。
多分消す事はないし今でもたまに見返してる。
勿論他人には絶対みせないけどね。
大切な人の最後の顔を残しておくこと悪いことではないと思う。
そしてこれも驚いたんだけど、まだ弟がいた段階で施設の職員さんに葬儀屋さんの話をしていて施設から連絡をしてくれるということだったんだ。
これも今思えばすごく助かったな。
どん底の気分で自分で調べて葬儀屋さんに電話をかけて、とか無理。さらに僕のことだからそこで値段を調べたりする、少しでも安いところとか調べてたんじゃないかなとか思うとお母さんが死んだのにそんなところ気にしてる自分が嫌になってたと思う。
施設の人の話だと6時30分頃葬儀屋さんが来るということだったので、それまでお母さんの部屋で過ごすことになった。
お母さんと妻と3人で部屋にいると、まだ部屋で面会できてた頃のこととか思い出したり、お母さんが最後に見てたであろう施設の天井を見つめたりして。
でもやっぱりタバコがすごく吸いたくて、トイレもすごく行きたくて、でもお母さんを1人ぼっちにはさせたくなくて妻と交代で吸いにいって
あそこで見た光景は生涯忘れないと思う。
すごく綺麗な部屋で無駄なものが一つもない、だけどそれがたまらなく寂しいんだ。
葬儀屋さんが到着し、お母さんのご遺体を運ぶ準備にとりかかるのだが、ここで仕事なのだろうが一番の丁寧なお悔やみを言われ、有り難かった。
お母さんを葬儀屋さんの車に乗せ、僕もその車に乗りお母さんに手を置いて弟の自宅まで案内する。
妻は近くのパーキングに停めて合流するということになった。
ここでもう一度重要なことを書くけど、弟の家は道も狭く入り組んでいる所にあって、少し大きい車だとなかなか近くまで行きづらい所にある。
葬儀屋さんも近くまで来て、これはマズいと思ったのか、ある提案をしてきた。
うちの会社の隣に安置室があるので、そこで葬儀までご遺体を安置したらどうですかというものだった。
これからお通夜や告別式、火葬のことを考えるとデカすぎる霊柩車はここには来れないかなと考え一瞬じゃあ安置室でという考えがよぎったんだけど、すぐに思い直して、すみません、お母さんと最後にお家で一緒に過ごしたいんですって言ってなんとか家まで連れて帰ってこれた。
これがとても正しい選択だった。
本当に良かった。
理由は長くなったので次に書きます
ので、ここで一度区切ります。